自分を

知る

自分を

愛する

 

■康一

今、ここにいると確かに時間の感覚がなくなって、自己というかマインドというか、

思考が消えていくのを実感します。

瞑想を実践していく中でその感覚に慣れて来ています。

そうすると日常でも少し立ち止まって「今、ここ」の感覚に戻れるようになって来ました。

 

 

■スルタン

そうだね。慣れてきて、今どんな感情を感じているだろうか?

 

■康一

とても静かでリラックスして落ち着いています。

起こることは起こるんだろうな。

今、ここにいると結果にあまり執着しなくなっています。

 

でもここで新たな疑問が出てきました。

では自分、自己ってそもそも何なのですか? 

私は「今、ここ」で感じる平安と何とも言えない気持ち良さや安心感がとても気に入っています。

でもこのスペースでは「自分」や「自己」ってないんです。

 

でも日常に戻るとやはり私は私として生きていて、マインドを使って活動しています。

この違いって何なのでしょうか?私にとって自分って何なのでしょうか?

 

 

■スルタン

あなたには「自分」や「自己」と呼べるものはないと言えば信じるだろうか?

 

 

■康一

うーん、いや、でも私には名前があって性別があって、役割や立場があり、「私はこういう人間だ」と言える個性を感じることができます。

 

これって「自分」であり、「自己」ですよね。

 

 

■スルタン

そうだ。だが瞑想中にはまた別の感覚を感じているはずだ。

 

 

■康一

そうですね。

 

これはここ最近の発見でもあったのですが、「今、ここ」にいてリラックスしていると「自己」の感覚が消えていくのですが、それにもかかわらず「何か」を認識している。

 

というか、何とも言葉で言い表すのが難しいのですが、私であって私ではないもっと大きな何かが確かにあって、静かに共にいる感覚があります。

 

■スルタン

それが私と共にある感覚であり、全体としてのあなた自身でもあるのだよ。

本来のあなたは全体性の中に存在している。

 

 

■康一

それはあなたと対話を続け「今、ここ」の感覚に慣れて来たおかげで体感するまでになりました。

 

では、日常に戻ったときに感じる分離感や、先ほどあなたがおっしゃった「自分」や「自己」はないということについては、まだはっきりと分かっていないところがあります。

 

私は確固とした私を認識することができています。

 

 

■スルタン

しかしあなたが感じ認識している「あなた」が本当に「あなた」である保証はどこにもない。

 

 

■康一

確かにそうなのですが、とは言っても私は今ここにいて、こうしてペンを持って物を書いています。

 

これは今、私はこうしてここにいるということではないですか?

 

 

■スルタン

いや、それでもあなたはここにいることにはならない。

あなたは確かにそうやっているのだが、しかし今、私のメッセージは届いているだろうか?

 

そのメッセージは果たしてどこから来るのだろうか?

そしてあなたをあなたたらしめているその記憶はどこから来るのだろうか?

 

 

■康一

ん?このメッセージは「声」という形で聞こえます。

 

それと同時に私の考えは私の頭というか身体というか…、あれ、「私の考え」とは一体何ですか? 何だか自分がなくなって来ています。

 

「私」や「私の考え」はどうしてそれが「私の考え」と分かるのですか?

 

 

■スルタン

あなたは確かにいる。

しかしあなたが今まで思ってもいないような形で在る。

 

先ほども言ったが、あなたは全体性の中に在る。

だが決して個性を失っている訳ではない。

 

全体性を感じながら、あなたはあなた自身でもある。

 

その感覚は私が送るメッセージとは別の何かであるとはっきり認識できているはずだ。

そして全体性を感じながらも、確かにあなたが在るという感覚も感じることができている。

 

それが本当のあなただ。

だがそれは未来や過去にいる時に思考している分離した個とはまた別であり、それは幻だ。

あなたはそうやって今、思考を巡らしていると思うが、一体どこにあるのだろうか?

あなたは服を着ていると思うが、あなたは服を私と思うだろうか。

服はあくまで服でしかない。

この世界で生きるために必要な道具ではあるが、服はあなたではない。

 

その服に例えられるものが、いわゆるあなたが感じる個性というものだ。

 

 

■康一

そう言われると私って一体何なのだろうか…という気になって来ました。

 

しかしそれでも私という個性はあります。

名前もあり、生きた証もあり、役割もある。

それは生きていく上で必要なものです。

それをない物とすることはできません。

 

 

■スルタン

もちろんそうだよ。

 

あなたは時間のある世界でしか認識できない個性のある私、分離感のある私を経験するためにそこにいる。

しかし服をまるで私そのものだと思うこともないのではないだろうか?

 

今地球では全体性の感覚を取り戻しつつある。

その中で「私とは何か」を強く意識していくだろう。

 

それは全体性を感じることができるからこそ、感じることができるギャップでもある。

これは生き方の変容でもある。

全体性を感じる生き方か、分離の中に埋没する生き方だ。

 

私は良いも悪いも判断するものでもない。

私は観察する。

 

服はどこまでいっても服でしかない。

ただそれだけだよ。

 

 

■康一

よく分からなくなって来たので少し整理させてください。

 

まず、この時間の中で生きるために必要な個人としての私がいる。

それは簡単に言うと名前や年齢、役割や記憶、他と区別できるあらゆるもの。

それをあなたは「服」と言いました。

 

それから「今、ここ」にいる時、自分や自己の感覚がなくなっている時に感じるいわゆるワンネス? 一体感、全ては一つである、何だか溶け合っている感覚。

 

それからその全体性の中でも「私は在る」と感じる部分……、これって何ですか? あなたがおっしゃる「服」とも違う感じがするのですが。

 

 

■スルタン

それはあなたの身体が感じる「私」の感覚だよ。

 

何億もの細胞、何億もの微生物が住まう小さな宇宙として個性をもったあなたがいる。

それは「今、ここ」にいることで意図的に感じることができる第二のあなただ。

細胞の一つ一つ、微生物の一つ一つが全体性を保ちながら個として存在している。

 

この全体性の中に含まれている個の感覚を覚えておくと良い。

本来のあなたは決して外側にはないのだよ。

 

 

■康一

身体ファーストですか……。

 

にわかに信じられないですが、「今、ここ」にいる時に感じる「私が在る」という感覚について何となく理解できた気がします。

 

 

■スルタン

私は「今、ここ」にいて「喜び」の中で生きると言う時、あなたの身体を内側から喜ばせる事なのだよ。

 

だから今、心からわくわくすることを可能な限りすることで、全体とつながりながら個として生きることができる。

 

 

■康一

では「自分を愛する」とはどういうことなのでしょうか? どうすれば「自分を愛する」ことができるのですか?

 

 

■スルタン

本来のあなたは「服」ではない。

 

あなたが時間の中で認識する「自己」はあなたではないので、それをどれだけ満たしても満足することはない。

なぜならあなたではないからだ。

 

あなたを愛するアプローチは二つある。

 

一つは内側から感じる情熱に従うこと。

あなた個人で完結していることをする。

 

もう一つはあなたの身体がポジティブに気分が良くなるあらゆることをすると良い。

身体を労わること、動かすことなど。身体が喜んでいると感じることをする。

これがもう一つのアプローチである。

 

 

■康一

特にこれが良いというものはありますか? 

沢山の人にお勧めできることなどありますか?

 

 

■スルタン

個々人にとって違ってくる。

あらゆるケースを見る必要がある。

 

身体が喜ぶことで過度の負担にならなければ何でも良い。

色々と試してみることだ。

 

だが思考と身体をリラックスさせるための瞑想は比較的取り組みやすい。

 

 

■康一

他にお勧めのアプローチはありますか? 

自分を愛し、満たすための特別な何かがあると嬉しいのですが。

 

 

■スルタン

イメージを使って身体を楽しませることもできる。

 

身体が喜んでいると思えることなら、何でもイメージしてみることだ。

イメージをしている時、思考はそれをまさに「今」起こっていることとして体感する。

身体で感じられるポジティブな経験は「自分を愛する」ことに直結する。

 

 

■康一

ありがとうございました。

 

あなた方の教えてくれたことは当たり前のことなのですが、つい忘れがちなことでもあります。

だからこそやってみる価値がありそうです。

少なくとも身体の声を聞いて、それに従うことって大切ですよね。

 

 

■スルタン

そうだ。シンプルだが自分を愛するための基本的なアプローチになる。

 

覚えて欲しいのは「今、ここ」にいながら全体性の中で個を感じることに馴染むこと。

そのシンプルなアプローチが身体を喜ばせることだよ。

 

そうするとあなたは「今、ここ」により長くとどまることができるようになってくる。

それが後天的に獲得する第二の個性だよ。

 

 

■康一

第二の個性。何だか良い響きですね。

ありがとうございます。

何だかわくわくして来ました。楽しみです。

​対話おわり

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